国分義行先生

国分 義行 先生

学科 保育科・保健センター

主な担当科目 子どもの保健、子どもの食と栄養など

勤務期間 1980年~1993年

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国分 義行(こくぶん よしゆき)先生は、1914年、岩手県八戸市にて出生されました。1940年、東京慈恵医科大学を卒業後、東大医学部小児科教室で、栗山重信先生の薫陶を受けて、1958年、東京慈恵医科大学教授となり、小児科学講座を担当されました。その後、1979年名誉教授となり、湘南病院長を経て、聖徳大学に1980年に赴任されました。聖徳大学では、1980年短期大学部保育科第二部学科長、1988年には、短期大学部保育科第一部学科長に就任されました。そして、1981年には初代の保健センター長に就任されました。国分先生は、日本における小児科教授の中でももっとも有名な小児科の先生のお一人でした。国分先生は、東京慈恵会医科大学の小児科学講座において、専門領域ごとの研究班をお作りになり、日本でも有数の小児科講座にされました。またテレビ出演などメディアにも積極的にかかわっておられました。国分先生が聖徳大学に赴任された当時の保育科は、学生数が多く従ってクラス数も多かったため、同じ内容の授業を繰り返ししなければなりませんでした。国分先生は、多くの授業をご担当されておられたため、授業で声がかれてしまいました。そこで授業の合間にお茶でうがいをされておられたことです。国分先生は、高名な小児科医であるにもかかわらず、学生の皆様を大変大切にされました。事情で、困窮された学生の方の面倒もみられたとのことです。そう言えば、国分先生のご父上様は、八戸市で牧師をされておられました。国分先生もキリスト教徒でした。国分先生を慕うご卒業生が、国分先生のお墓に墓参したいと大学を訪ねられたほどです。先生は、またアイデアマンでもありました。「ポッキー」の考案者でもあり、「ポッキー先生」とも呼ばれておりました。1993年秋、授業後に体調の異変に気づき、東京慈恵会医科大学を受診され、1993年9月28日78歳で、永眠されました。最後まで、学生の皆様に寄り添った名物先生でした。 

(児童学科 教授 宮川 三平)