川並弘昭先生

川並 弘昭 先生

Episode

学校法人東京聖徳学園 前理事長・学園長聖徳大学・聖徳大学短期大学部前学長であり、父である川並弘昭先生が平成23年5月30日に急逝するとは、本人、ましてや家族も夢に思っていない事態でした。教職員、学生等、保護者、周りの方々に支えていただいた一生でした。皆様方に感謝いたします。

香順先生が昭和41年4月27日に急逝されてから45年にわたり理事長として、昭和48年5月10日に孝子先生が逝去されてから38年にわたり学長として、建学の精神「和」を様々な場面で説きながら学園を支えてきました。私たちが子どもの頃は、学園発展のためにあちらこちらを忙しく飛び回り、顔を合せることは滅多にありませんでした。そのため、幼稚園と家は母が支えておりました。しかし、私が何かお願いをすると必ず母は、「お父様に聞いてから」と父の存在が家の中にあるように気配りしてくれていました。

学長のバイタリティーは、日常的に都内と松戸を日に2度も3度も往復したり、少しでも早く正確な情報を得るために、毎日のように文部省(当時)に顔を出していたなどの話を関係者から改めて聞いて、胸を熱くしています。当時の学長車は3年で10万キロ以上(地球2周半)走っていたそうです。当時の運転手さんも良く付き合ってくれました。

時にはひょうきんな面もあり、ある正月、年始回りの道中での車の中で、兄弟の誰かが「ざまあ見ろ」と言いましたら、「そんな汚い言葉を使ってはいけない」と窘められたので、「では何と言えば?」と聞き返したところ、「ざまあご覧あそばせ」と答えられ、車中が爆笑の渦に包まれたばかりでなく、しばらく家族のお気に入りのフレーズになったのは言うまでもありません。

学生たちが大好きで、大切で、気さくに声を掛けていました。学生たちも「誰」って顔をしながら話をし、暫くして学長先生だと分かってびっくりする様子に遭遇したのは日常茶飯事の姿でした。学外研修でも、その道中にバスの隣の席に学生を座らせていろいろな話しをしながら目的地に向かったり、美味しいお茶を自ら買って持って行き、挨拶の中で「美味しいお茶を持ってきたので、夜時間があったら部屋に訪ねてきなさい。一緒にだべりんぐをしましょう」と話したりと、その気持ちが全身から表れていました。

残念ながら、5月30日、手の届かない遠いところに旅立たれてしまいました。残された私たちは故人の遺志を引き継ぎ、学園を発展させていかなければなりません。一人ひとりの力には限界がありますが、教職員が建学の精神「和」のもとに一丸となって一つの方向を目指す時、大きな力を発揮できます。皆様とともに努力して参ります。皆様のご活躍とご健勝、そして学園へのお力添えを切にお願いいたします。みんなで頑張って参りましょう。

弘昭先生、天国から見守ってください。

(東京聖徳学園 学園報 追悼号 VOL41 No.9 第522号 平成23年7月26日(火)発行 故 川並弘昭先生を偲んで より)