小島 慶一 先生
学科 社会福祉学科
主な担当科目 フランス語
勤務期間 1976年~2015年
- Episode
フランス語・フランス文学コースの思い出
昭和51年というと、学生には遠い時代と映るだろう。私には最近のように思えるのだが・・・。その年聖徳短期大学にフランス語・フランス文学コースが新設され、私は専任教員として採用された。専任教員が3人、入学した学生は5人だったが、卒業したのは4人。考えられないことだが、大学の英断も然ることながら、学生もよく来てくれた。当時の学生はもう70才近くなるけれど、時々会う機会に恵まれ、私からは消え去ることのない宝物である。
当時敷地の奥の方は、運動場のような原っぱだった。しばらくしてそこに7号館が建った。そこに学生食堂が併設されることになったらしく、学長から主任の蛯原徳夫教授に、フランス語で粋な名前をつけるようにと依頼があったことを我々は聞かされ知った。そこで蛯原先生はじめ、もう一人の尾上貞五郎教授と私3人で各自の案を持ち寄り、それを学長に提出して決めてもらうことにした。蛯原先生は、和の精神ということから「アコール」(accord 和合)を、尾上先生は「パピオン」(papillon蝶)。んっ?私は何故かと聞いた。先生にこっと笑って即座に答えた。「音が綺麗だから・・・」私は聞いて頷いたが、失礼ながらこれは没だと予感した。学校とは結びつかなくて、寧ろ夜の蝶なんて不測の事態を思い描いた。ところで私はどうかというと「サロン・サヴァ」(salon <ça va ?> サロン「あら、元気?」 )を提出した。学生同士が会った時の仕草を見ていて思いついただけだ。結果は「アコール」が採用された。しかしこの名前が定着するまでには時間がかかったようだ。「アルコール」なんていう学生も居た。たしなむ学生も居たかも知れないが、学生食堂にアルコールは頂けない。「ワコール」なんて呼んだ学生もいた。これは当時女性の下着メーカーとして有名だった。あの頃の7号館学生食堂の呼び方は、不揃いだが言葉の花が咲いたようだった。果たして今は学生に定着しているのだろうか。確か最上階にあって見晴らしがよかった。教員もよくそこを利用していた。
時経ればフランスのブームも去り、フランス語コースも無くなり、私は社会福祉学科に移籍となった。いつの時も、聖徳に集まる学生たちは何故、人懐こいのか。勉強はしたり、しなかったり、いや、しているようだったり・・・そんなことはどうでもいいのだが、本当はしてもらいたのだが、素晴らしい人柄は自然に身についていて、私は39年間、常に元気をもらいながら過ごさせてもらった。
(聖徳大学短期大学部文学科・聖徳大学社会福祉学科 小島 慶一)