010

西岡 栞

(旧姓:長野)

早期療育現場

文学部文学科書道文化コース卒業/2021年

聖徳を選んだ動機
 当時、書専攻のある大学は関東に多くは存在していませんでした。その中で聖徳大学を選んだきっかけは、いくつかあります。
 大学生活において一番大切にしたかったことは、とにかく良い作品に出会い感性を磨き、良い教授に出会い、より良い方へ導いてもらえることでした。
 私たち芸術人において最も大切なことは、常日頃から本物の芸術に触れることです。毎月あるコンサートや、文学の香りに触れるRE授業など、書以外の古典作品に触れる機会が多く存在する聖徳大学は、私の希望に最善の環境を与えてくれると確信して選びました。

学生時代の思い出
 教職を当時取っていたのですが、他の学科と違い、書専攻は講義の時間とは別に、常に作品制作に向き合う時間が必要です。教職を取る宿命というのか、とにかく月曜日から土曜日までずっと授業がみっちり!時間もない中で、週2コマほどの空きコマ、そして休み時間を返上して作品制作に打ち込んでいました。

 時には課題が終わらない、作品も終わらないというダブルパンチで泣きながら22時ぐらいまで筆を握っていた記憶があります。集中力が切れると、近くのラーメン屋に同期と女子大生とは思えないげっそりした顔で行き、また作品に打ち込み、自宅へ帰ってからも少し筆を握って…という生活でした。今思えば、本当に根性があったな…と昔の自分を褒めたいです。笑 

 けれど、その経験というのは実に豊かなものだったと、卒業して何年も経ってからも感じています。多分、人生の中で一番書いていた時代です。今も書を続けています。 結婚して仕事もしているのですが、時間を見つける癖をつけれたのは、大変良かったと感じています。
 空き時間を見つけて書いていた大学時代と、さほど変わらない生活をしています。
しかし、若さというか、無茶が効いたあの時代。
「自分のためだけに時間を使えた時代」に「好きで好きでしょうがない、書の世界」にどっぷり浸かれたあの時間は今でも宝物です。

思い出に残っている授業や先生
 教授方には、本当にお世話になりました。学部学科を超えて、どの教授とも色々な思い出があり、忘れられない大切な青春の記憶です。卒業した今でも教授から声をかけて頂き、お会いして近況報告をしたりしています。ここでは、書専攻出身なので吉田洪崖先生と、岩井秀樹先生のお話をしようと思います。

 私は、あまり良い学生だったかと言われると、素直に首を縦に触れません。 講義をサボったり、課題を出さなかったりということはしませんでしたが、とにかく頑固でとっつきにくい女だったと思います。笑

 ただ、人懐こい性格でもあるので、例えどんな癖のある教授でも好きでした。 自分の知らない世界を教えてくれる教授達は、やっぱり格好良くて、学問を深くまで掘り下げることのできる憧れの存在でした。
当時は教職に忙殺されていたので、講義休みたい…と白目を剥いていましたが、それでも講義は楽しかったです。

 当時は視野が狭く、非常に臆病に物事の変化を受け止めていたと記憶しています。私はあまり変化が得意な方ではなかったようで、それは書にも影響があったと思います。

 一時期、手本なしでは字が書けないことがありました。
安心要素というのか、手本という道標がないと、どう書いてよいか分からなかったんですね。
手本があるというのは、非常に楽なんです。
期末テストでいう、解答用紙を写しているものでしょうか。兎にも角にも、答えがないものが怖かったのかもしれません。

 けれど、それを見た先生方が同じことを私に言い聞かせてくれたことがあります。

 「栞ちゃんね、私たち書家は古典から学ぶんだよ。お師匠さんから学ぶのも勿論必要だけれど、本当のお師匠さんというのは、古典だ。それを勘違いしてはいけない。

 ここには沢山の古典があるでしょ。何もこれしか書いたらいけない、なんて思わないで、篆書でも隷書でも、行草でも篆刻でも、好きな古典を自分で見つけたら良い。

 それをするのが大学なんだから、そこから素直に学んだら良い。
大陸の書家は、素晴らしいよ。あなた方は若いんだから、いつか、必ず本物を見に行きなさい。それがきっと、あなたの力になる。」

 「栞ちゃんね、なんで臨書が大切なのか、一度よく考えてみてごらん。古筆はさ、千年もの時を超えて愛されているのは、なぜだと思う?

 書は表現、確かにそうだけど、本当にそれだけなのかな。

 千年以上、ずっと人を魅了してきた美しさがそこにはあるんだよ。
 それをとことん学ばずして書家、とは言えないよ。

 古典、古筆から学ぶんだよ。若いんだから、好き嫌いしないでさ、良いものたくさん吸収してね。頑張って。できるできる。」

 この教えは私にとって、今を支える言葉になっています。
 また、変わらずこれから先も支えになる言葉です。

 これは書の教えであるように見えて、生き方の根本を説いているものに他なりません。

 謙虚さのかけらもなかった私を手懐けるのは、非常に困難だったと思います。
 あの頃、先生方は私の道標で、ずっと頼りにしていました。

 研究室を開ければ、吉田先生がいつもの窓際の席に座っていて、岩井先生が添削している。先生方がいつもいた、穏やかで墨の香りが染み付いた、あの小さな研究室が大好きでした。

 きっと私は、あの先生方でなければ四年間、一心不乱に筆を握ることはできなかったんじゃないかと思います。思い返せば、とても大事にして頂きました。感謝しても、しきれません。

 それにしても、教授方は似ているところが多々あります。夫婦と一緒で、長らく共にいると似てくるのでしょうか。

 私を嗜める時、必ず二人とも「栞ちゃんね、」と言うんです。

 あれを聞くと、ビクッとしました…。笑
 あ、やばい、先生怒ってる。逃げたくなる気持ちを抑えて、有り難くお叱りを頂戴することもしばしばありましたが、今となっては笑い話です。笑

 思い出せば墨の香りのする、良い大学生活でした。

卒業して思う聖徳の魅力
 箱根の大自然に囲まれた経験ができたこと、音楽コンサートがあること、文豪の生きた道を辿ること、本物の古筆を見れたこと。

 一番の魅力は、座学の内容を身をもって体験できる、「自分の専門を愛してやまない専門家たち」が直々に側で教え導いてくれる環境があること。

 これが最大の魅力です。

 そして、日常の中、何気なく質問すると、1聞くと、1000返ってくる、これも醍醐味ですね。笑
 気が付けば1時間経過。

 そこから学ぶことは本当に多かったです。だからこそ教授との会話が好きでした。

現在の職業または前職
教職員でしたが、今は深掘りしたい分野が定まり、知的障害(ダウン症専門)の赤ちゃん達のいる早期療育現場で働いています。

就職して役に立った学び
少し、大きなことを言いますが、「生徒の導き方」でしょうか。
実は、中高一貫校にも勤めていた経験がありまして、当時は学寮に住み込みで勤務していたこともあり、生徒から相談を受けることが多く、時には嗜めたり、夜中に帰ってきた生徒を叱り飛ばしたりこともありました。笑
文学部には導いてくださる教授が沢山いたので、こんな時、先生はどう導いてくれたっけ、と思い出し、自分なりに考え、実践。
やはり、真正面から生徒と向き合うことというのは大切なことでした。
上手くいくことばかりではないですが、生徒と信頼関係を築くための大切な学びでした。

今はもうその職場にはいませんが、学寮を辞める時、ある生徒に泣かれたことがあります。日常的に私と攻防を繰り広げていた生徒です。

あまりに普段朝起きないため、教育庁に訴えられるギリギリで叩き起こしたり、
朝の時間がない中、精一杯おしゃれを仕込む時間に教科書の忘れ物ないかと聞いたり、
いつまでもダラダラしているため、ちゃんと風呂に入ったか確認したり、
昭和の売れない漫画家ぐらい、机が汚いため即時、片付けるよう叱ったり、
彼氏に振られたと泣くので応接室で事情聴取し、転んでもタダでは起きない精神を徹底的に叩き込むため、今後の女磨きに関する重要会議を開いたり、
学寮の門限フル無視で連絡も繋がらず、夜中に遊んで帰って来たので、懲戒免職ギリギリで叱り飛ばし、反省文の課題付き(添削は保護者)で実家に追い返したりしていたので、

多分こいつ私のこと嫌いだろうな、という生徒から先生行かないでと、泣かれた時には驚きました。なんやかんや、このクソババアと言われた時には、困らせるためにわざと泣いてやろうかと思ったこともありましたが、今でも連絡のくる良い関係です。
なんやかんや言いながら、やはり私も生徒達みんな、大好きでした。
学生と共にある先生方の顔を見ていたら、きっとこういう気持ちだったんだろうという学びでもありました。

学生(人)を思う気持ち、最大の学びですね。

在学生へのメッセージ

今、自分が学んでいる環境は、当たり前ではありません。
「大学に行かない」選択肢もあったはずです。

皆さんも言われたこと、ありませんか?
「大学生か。今が一番いい時だ。」

きっとこの言葉を咀嚼して理解するのは、社会に出てからです。
私もそうでした。

私の大学生活はコロナで4年生の1年間を自宅で過ごしました。
あれは世界が混沌とした、悲しい記憶でもありますが、見方を変えれば世界が一致団結をして解決するために同じ方向を向いた、長い長い沈黙の時間でもありました。

あの一年、私も大学に通いたかった。だから、君たちが羨ましい。
これは紛れもない、私の本音です。

今、皆さんはどうですか。

毎日友人の顔を見てランチができることも、自分の興味を掘り下げるために図書館に住みつくことも、教授に学びたい情熱ぶつけることもできるはずです。

やってますか。やってないですか。

やってください。とことん。
叶えたいものを願うのではなく、叶える努めを果たして下さい。

当時の学生は「普通の日常」が叶わなかったけれど、今それを手にしている学生の飛躍を願わずにはいられないのが、OGです。

夢を叶える努めというのは、実に地味なものです。
きっと、やっている本人は楽しくも何ともない時もあるかと思います。
けれど確実に言えることは、学問を掘り下げて見える景色は実に美しく、実践から得た経験というのは、自分に自信と知性を与えてくれます。

こればかりは、積み上げてきた人間にのみ与えられるものです。

泣いても笑っても、もう二度と、今この時の聖徳大学での大学生活は返ってきません。
だからこそ、全力でもがいて下さい。楽しいことを全力で感じて、時には苦しい思いからも学んでください。
20過ぎると大人と扱われ、それ相応の身のこなしを要求されますが、みっともなく泣いたって良いんです。そこからまた、始めましょう。

どんなことからも学ぶことは大きい。
それを感じられる自分で在れるか否か、それは君たちにかかっています。

「大失敗は、人を大きく飛躍させるための最高のスパイス!」
と、聖徳大学の文学部某教授が、社会人になって皆で顔を真っ赤にしながら飲み交わした時に教えてくれました。

全くもって、その通りです。

だから、安心して挑戦に挑戦を重ねて下さい。
大丈夫です。君たちの隣にいてくれる教授達は、この日本のアカデミアを支えている頼もしい味方です。その教授達でさえ、色々な経験を経て、今、教壇に立っています。

君たちの失敗なんて、可愛いものです。

それぞれの方向に、気品と謙虚さをもって歩んでいって下さい。
そのための手伝いなら、惜しまない人たちが聖徳には沢山います。

それでは、応援しています。頑張れ!聖徳レディーたち!
私たちも、頑張ります!